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音楽ジャンルの歴史を解説 [ロックンロール誕生~衰退まで(50年代)]

今回は、経時的には前回の[ブルース]編の続きになりますね。ロックの誕生からビートルズまでが中心の内容になると思います。

リズム&ブルース

1940年代後半になると、ブルースやジャズなどがバンド形態で演奏されることが増えました。次第に各ジャンルの要素がクロスオーバーし、テンポが早くなりビートが効いたサウンドになっていきます。その音楽は、リズム&ブルース(R&B)と呼ばれるようになりました。正式な音楽ジャンル名としては、1947年にビルボード誌のジェリー・ウェクスラーが名付けました。それまでは、黒人の音楽は「レイス(人種)・ミュージック」と呼ばれ、チャート上でも白人音楽と差別されていました。白人が黒人が作る音楽の良さに気付いて、模倣するのが目に付くようになったのも、この辺りの時期からになります。

40〜50年代のリズム&ブルース(R&B)と、現在R&Bと呼ばれるものはニュアンスが違います。50年代のリズム&ブルースは、オールディーズの1つとしてカテゴライズされている事も多いです。後のロックンロールやソウルなどに影響を与えた音楽として捉えられています。そして、現在R&Bとして呼ばれるジャンルはコンテンポラリーR&Bと呼ばれ、80年代以降の現代的なサウンドを指しています。まあ、そもそもリズム&ブルースの定義自体があやふやのところもあるので、下に紹介する2人以外にも色んなアーティストが挙げられることもあります。

R&Bの代表的アーティスト

ロイ・ブラウン

ジャンプ・ブルースの代表と言われる存在ですね。楽曲を聞けばエルヴィス・プレスリーに影響を与えたのがお分かりになると思います。1948年~1951年辺りにR&Bチャートを賑わせた一人です。「Good Rockin’ Tonight」は彼の代表曲であり、様々なアーティストにもカバーされています。BBキング、ボビー・ブラント、ジェームズ・ブラウンなども、ロイ・ブラウンに影響を受けたみたいです。何故か有名ではないですが、ロックンロールの原型を提示した貴重な存在の一人だと思います。


↑Watch Video

ワイノ二ー・ハリス

彼もロック&ロールに繋がる音楽を示した創始者の一人です。元々はジャンプ・ブルースやスウィングジャズのバンド、ラッキー・ミリンダ楽団でキャリアをスタートさせました。1945年頃からソロ活動を開始して、ロイ・ブラウンの「Good Rockin’ Tnight」をカバーしてヒットさせています。その鋼鉄ののどと言われた迫力のあるシャウトが持ち味だったりもします。彼も後に続くアーティスト達に与えた影響は大きいです。


↑Watch Video

ロック&ロールの誕生

ロック&ロール(以下、R&Rと表記)の時代になると、現代でも有名なアーティストがたくさん出てくることになりますね。時代は1950年代中盤。R&Rは「白人のカントリーミュージックと、黒人のブルースが出会って出来た」と言われています。これには、R&Bチャートが創設されて白人が黒人の音楽に興味を持ち始めたことで、互いの音楽性に影響を与え合った背景があります。その結果、ビル・ヘイリーやエルヴィス・プレスリーなど、黒人音楽に憧れを抱く若者達が現れるようになります。これは大きな転機だったでしょう。

R&Rが始まったのは、1955年にビル・ヘイリーの「Rock Around the Clock」が映画「暴力教室」で主題歌になった時、エルヴィス・プレスリーが1954年に「That’s All Right,mama」を録音した時など諸説ありますが、この頃一気にR&Rの扉があけられました。白人ではバディー・ホリーやジェリー・リー・ルイス、黒人ではチャック・ベリー、リトル・リチャード、ファッツ・ドミノなどが有名ですね。特にプレスリーやチャック・ベリーは、現在ではR&Rの代名詞的な存在になっています。

白人音楽のヒルビリー、カントリー/ウエスタンの要素が特に強いものを「ロカビリー」、黒人音楽のR&B要素が特に強いものが「ロックンロール」と一般的には呼ばれます。しかし、明確な定義は曖昧だったりもします。どちらのスタイルも、60年代以降のロックに直接繋がっていくものです。この頃からエレキギター、エレキベース、ドラムの編成で・8ビートで演奏されることが劇的に増えた点も重要です。(例外として、ピアノ主体のものもあったり、ロカビリーの場合はウッドベースが使用されることが多かったりしますが)

エルヴィス・プレスリー

もう音楽ファンならその名を知らない人はいないくらいの存在ですよね。彼がいなければ、若者を巻き込んだロックンロールブームは起きなかったでしょう。黒人音楽をリスペクトとした白人というのは、偏見の目で見られる事もある時代でした。しかしプレスリーは、そんな目を気にせず黒人音楽をエンターテイメントまでに昇華させたのです。彼が貧しかった子供の頃は、ミシシッピー出身だったこともあり黒人居住区が近かったようです。そして、ゴスペルのステージを見るために足しげく通っていたみたいです。その事も彼の音楽性に影響を与えているのでしょう。

彼のデビューは、メンフィスのサン・レコードで、創業者サム・フィリップスに「That’s All Right,mama」を聞かせたのがきっかけです。彼の才能を感じたサムは、サン・レコードから数枚のシングルを売り出しました。1955年にはRCAビクターと契約。そしてTV初出演し、黒人音楽を歌い、プレスリーは白人らしからぬパフォーマンスを披露しました。人種問題が根深かった当時は「青少年の非行の原因」と批判されてしまい、PTAや宗教団体から激しい非難が浴びせられました。


↑The Ed Sullivan Show

しかし、1956年になり「Heartbreak Hotel」で7週連続チャート1位を取ると、その後も1位を連発させます。「エド・サリヴァン・ショウ」に出演するなど、数多の実績を残していきます。若者たちは、彼の音楽の虜になっていくわけです。そして、一気に大衆に浸透したR&Rは、メジャーなものとなりました。この点がプレスリーの大きな功績でしょう。彼は世界一の売上を誇るソロアーティストにまで登り詰めます。ビートルズをはじめとした、60年代以降の世代のアーティストに与えた影響は計り知れません。


チャック・ベリー

映画「Back to the Future」で、「Jhonny B.Goode」を主人公のマーティが演奏するシーンがあります。このギターリフを聴いて、胸を躍らせた人も多いではないでしょうか。ロックの殿堂に選ばれた際、「ロックンロールを創造した者を一人に限定することはできないが最も近い存在はチャック・ベリーだ」と称されました。

彼は成人してから結婚して、ゼネラルモーターズの工場で働きながら音楽活動をしていました。27才の時にジョニー・ジョンソンのバンドに声をかけられたのが、プロミュージシャンとしての第一歩でした。ミュージシャンとして評判を挙げた彼は、新車を買ってシカゴにドライブに行くことにしました。そこでの出会いが、チェス・レコードからのデビューに繋がっていきます。シカゴブルースの代表マディ・ウォーターズのライブを見た後、チャックはマディに声をかけることが出来ました。

“どうやったらデビュー出来るんだ?”(チャック・ベリー) “レナード・チェスに会ってみろ!47丁目とカテッジの角にあるチェスレコードさ!”(マディ・ウォーターズ)

そして、チェス・レコードと契約することとなったチャック・ベリーは、マディー・ウォーターズを慕うようになります。2人はその後も良き友人関係でいたようです。

そして彼は29歳にして、「Maybellene」で遅咲きのデビューを果たしました。「Roll Over Beethoven」「Rock ‘n’ Roll Music」「Johnny B. Goode」などでヒットを飛ばします。ライブでおなじみの“ダックウォーク”も彼のトレードマークですね。一躍スターへの階段を登りつめ、彼もその後のアーティスト達に大きな影響を与えることになります。ビートルズも彼の楽曲をカバーしていますよね。


↑Jhonny B. Goode


その他の代表的なアーティスト

バディ・ホリー

彼は22歳の若さで亡くなります。(詳しくは下の方で触れます)彼の存在で一番語られるのは、「ギター×2・ベース・ドラムという編成のバンドが、全員演奏しながらコーラスも歌う」という形で活動したことです。これって今では普通の編成なんですが、当時は珍しかったんです。そのバンド・クリケッツは1957年頃から売れ始めます。しかし、順風満帆だった1959年、ツアー中に彼は悲劇に見舞われます。彼の死後も楽曲は発売されたこともあってか、その存在は大きなものとなりました。


↑The Ed Sullivan Show

ジェリー・リー・ルイス

彼はピアノをメインにしたロカビリーをやった人物として有名です。立ったままピアノを叩くように弾いたり、椅子を蹴飛ばしたりと、派手なパフォーマンスがトレードマーク。彼の最大のヒット曲「火の玉ロック」で一躍スターダムにのし上がりました。エルヴィス・プレスリーを発掘したサンレコードで初めてレコーディングを行いました。彼は一度音楽界から追放されかけます(下で詳しく触れています)が、再度蘇ってグラミーやロックの殿堂を受賞することなります。


↑「Greats Balls of fire」

リトル・リチャード

彼もロックの創始者として有名ですね。黒人差別のひどい時代、彼はゲイだことも公表しながら活動していました。マスカラとリーゼントで決めた容姿で、激しいアクションと共にピアノを鳴らす姿は若者の心をつかんでいきます。後進のロックスター達にも与えた影響は大きいでしょう。1955年にデビューして「Tutti Frutti」「Long Tall Sally」などのヒットを飛ばしました。人気絶頂期に一度引退しますが、数年後また復帰しています。彼もロックの殿堂入りしていますね。


↑「Tutti Frutti」

ファッツ・ドミノ

彼はR&Rが生まれる以前から活躍していました。1949年にデビューし、「The Fat Man」でR&Bチャートで上位に食い込んでいます。ストライド奏法とブギウギに影響を受けたのスタイルでピアノを弾き語るのが特徴です。ファッツ・ドミノの楽曲はエルヴィス・プレスリーも数曲カバーしています。R&Rブームが到来した頃は、チャート上でも常連で「Ain’t That a Shame」「Blueberry Hill」はR&Bチャートにトップに11週君臨していました。ポール・マッカートニーやミック・ジャガーにも影響を与えています。


↑「Blueberry Hill」

ロック&ロールの衰退

1950年代末となると、白人の宗教家や政治家から、R&Rへの批判の声が大きくなります。それに加えて、エルヴィス・プレスリーの陸軍への招集などをきっかけに、一気に衰退していきます。

リトル・リチャードの引退(1957年)

ツアーでの移動集に飛行機が墜落しそうになった事で、「願いがかなったら神職につきます」と彼は祈りました。無事到着後、本当にそのまま神学校へ通い始めたという話です。しかし彼は、数年後復帰しています。

エルヴィスプレスリーの陸軍招集(1958年)

当時のアメリカは徴兵制だったため、2年間一兵士として西ドイツのアメリカ軍基地で勤務しました。除隊された後は、映画での活躍が目立つようになります。

13才の妻と14才の少女買春(1958年)(1959年)

ジェリー・リー・ルイスは、13才の妻がいました。イギリスツアー中に妻を帯同させたことで、問題提起されました。前妻との関係もきちんと解消されていなかったこともあり、業界から追放されてしまいます。しかし、そこから彼も巻き返しを図り、1960年代後半あたりから再びヒットを飛ばすようになりました。

そして、チャック・ベリーも、14才の少女をツアーに帯同させ、「売春など不道徳な目的のために女性を連れだし州境を越えることを禁じる」というマン法に引っ掛かり、投獄されてしまいます。黒人差別も少しあったのかもしれません。その後、ビートルズやストーンズが、ベリーの曲をカバーしたこともあって人気は復活しました。

R&Rを広めたDJの追放(1958年)

「レコード会社が宣伝料をDJに支払ってオン・エアしてもらう」という慣例がありました。これは、DJの給与も安かったため業界では黙認されていました。しかし、突如不道徳・反倫理的として1959〜60年に非合法化され、突如アラン・フリードら人気DJが追放される事件が起こりました。何かキナ臭い部分も見えてきますよね。

音楽が死んだ日(1959年)

1959年2月3日、ツアー中のバディ・ホリーは、バスでの移動に不満を感じていました。そこで、小型飛行機をチャーターしようという話になり、リッチー・ヴァレンス、J.P.”ビッグ・ボッパー” リチャードソンとバディ・ホリーの3人のミュージシャンは、小型飛行機に乗り込みました。しかし、パイロットのロジャー・ピータースンはまだ未熟で、力不足だったこともあり、墜落。4人は亡くなりました。

ちなみに次の年の1960年、イギリスツアー中だったエディ・コクランが移動中の自動車事故で死亡し、同乗していたジーン・ヴィンセントも重傷を負い後遺症が残るという事故も起こりました。


上記のことが起こったことで、一気にR&Rは衰退してしまいます。ここまで来ると何か怨念めいたものも感じますね。60年代の幕開けを前にして、R&Rは姿を消し、数年間は毒気の抜かれた無難な音楽が紹介されるようになります。しかし、海を渡ったイギリスでは「ロックンロールに憧れを抱いた若者達」が、台頭していく時代になります。この頃、ビートルズが結成されています。R&Rの音楽性やスタイルを受け継いだバンド達は、ブリティッシュ・インヴェージョンの波を起こし、アメリカに到来することになります。

というとこで、今回は終わりにします。こうやって振り返って見ると、R&Rの絶頂期は数年間だけだったんですね。今では再評価されてロックの原点的な存在になっていますが、当時は最新の若者たちの音楽だったんだなと改めて思いましたね。また60年代以降の続きは時間がある時に書いてみます。

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